リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件から17年。
犯人・市橋達也は両親ともに医者の家庭に育ち、自身も優秀だったと言われています。
市橋達也の出身大学や大学時代の出来事についてまとめています。
- 市橋達也の大学について
- 市橋達也が受験した医学部について
- 市橋達也の大学時代について
- 市橋達也の大学卒業後の進路について
- 大学教授から市橋達也へ送った手紙
市橋達也の両親の病院についてはこちらの記事でまとめています。
市橋達也の両親についてはこちらの記事でまとめています。
市橋達也の姉についてはこちらです。
市橋達也の大学はどこ?
市橋達也は2つの大学に入学しています。
- 横浜国立大学(2部)
- 千葉大学 園芸学部 緑地環境学科
市橋達也の家族は、両親も姉も医師という裕福な家庭に育ちました。
市橋達也自身も医師を目指し、高校では成績優秀者が選抜される国立大学理系学部志望クラスに所属し、大学受験では医学部を受験しました。
しかし医学部への受験では失敗を繰り返すことになりました。
一体どこの大学の医学部を受験したのでしょうか。
市橋達也はどこの大学の医学部を受験したの?
医師を目指し医学部を受験していた市橋達也。
ただ、どこの大学を受験していたのかは、手記などからも明らかにされていません。
しかし、
していたのではないでしょうか。
というのも、両親も医師という裕福な家庭に育っち、国立大学を卒業している市橋達也だったら、私立の医学部に入学することは出来たのかもしれません。
しかし、親のプライドなのか、市橋達也本人のプライドなのか、国立の医学部しか許さないという気持ちがあったのかも知れませんね。
では、医学部受験に失敗した市橋達也のその後について見ていきましょう。
横浜国立大学夜間部へ入学した市橋達也
医学部受験を失敗した市橋達也。
高校卒業を機に上京し、予備校に通い始めました。
しかし再挑戦したものの、医学部への進学は叶いませんでした。
そして市橋達也は20歳(1999年)のとき、横浜公立大学(2部)に入学します。
横浜国立大学の夜間部はすでに廃止となっていますが、当時は日本にある夜間大学の中で最も偏差値が高かったんです。
劣等感から大学を中退
2浪の末入学した横浜国立大学(2部)でしたが、医学部ではないことと夜間であることに劣等感を抱き再度大学を受験することにした市橋達也。
1年〜2年で横浜国立大学の夜間主コースを中退しています。
両親と姉が医師であるがゆえに、かなり強い劣等感を抱いていたようですね。
4浪し千葉大学へ入学
そして、市橋達也が23歳(2002年)のとき、千葉大学園芸学部に入学します。
市橋達也は緑地環境学科で庭園デザイン学を学んでいました。
また、空手同好会に所属し週に2回昼休みの稽古に参加していました。
26歳で無事卒業
高校を卒業してから8年目にして、市橋達也は無事大学を卒業しました。
2005年3月、市橋達也が26歳のときでした。
大学を卒業した後、市橋達也はどのような生活を送っていたのでしょうか。
市橋達也の大学卒業後の進路は?
市橋達也は2005年3月に大学を卒業するも、定職には就きませんでした。
大学時代に市橋達也はこう話していました。
しかし実際には海外留学の準備という名目で、市川市のマンションで仕送りを受けながら英語の勉強をしていました。
無事大学を卒業した市橋達也ですが、実は大学時代に一度、警察にお世話になっているんです。
市橋達也は大学時代にも一度逮捕されている!?
市橋達也はリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を起こす以前にも一度逮捕されているんです。
それは、市橋達也が大学生の頃です。
マンガ喫茶で落ちていた財布を見つけ、盗もうとした市橋達也。
店員に注意されるといきなり階段から突き落としてしまったのです。
こうして逮捕された市橋達也ですが、結局親が示談金を払ってくれたため前科は付きませんでした。
大学教授から市橋達也に宛てた手紙
市橋達也が逮捕される2日前の2009年11月8日、市橋達也容疑者の大学時代の空手同好会顧問の本山直樹客員教授(千葉大名誉教授)が、自身のブログで市橋達也宛てに長文のメッセージを掲載し話題になりました。
こちらが市橋達也宛てに投稿された手紙の全文です。
市橋達也君に告ぐ
(2009年11月8日)
君が整形手術の予約をインターネットでしたと新聞に載っていたので、もしかしたら本サイトを見てくれる機会があるかもしれないと思って、これを書くことにしました。数えてみれば、事件が起こってから3年近く、君が大学を卒業してからもう5年近くが経っていることに、時の流れの速さを感じます。私は昨年3月に千葉大学を定年退職し、今は東京農業大学の客員教授になってまだ農薬の研究を続けています。
市橋君、君はいったいどうしてしまったのだ。君と私の接点は、私の研究室で卒業論文の研究をしたのでもなく、私の授業を受けたのでもなく、ただ園芸学部の道場で一緒に空手の稽古に汗を流しただけだったけど、そのことを私は今でも大変なつかしく思っています。同好会のような小さなクラブ(確か君がいた時代の部員数は5~10名程度だった筈)で、週2回、昼休みだけの稽古だったけど、皆で稽古の前には必ず道場の床の雑巾がけをし、稽古の後はシャワー室でシャワーを浴びて、研究室や教室に戻る前に更衣室で着替えながら雑談をするという何気ない活動が1年ちょっとくらい続いただろうか。卒業の少し前に、卒業後はどうする予定なのかと君に訊いたら、緑地環境学科で庭園デザイン学を勉強した君は、市川か浦安の辺りに住んで設計事務所でアルバイトをしながらさらにデザインの実務経験を身につけると言ったのを覚えています。英語を習っていたのは、将来海外に留学することも君の計画にはあったのだろうか。
それ以来君とは一度も会っていないので、卒業後何があったのか全くわからないが、報道されているような事件を犯したのだとしたら、彼女との間によっぽど君の尊厳が傷つけられるような何かがあったのだろう。この頃、毎日のように新聞やテレビに出る君の昔の顔と今の顔を見ると、本当に君はいったいどうしてしまったのだろうと思ってしまいます。逃げ切れるものではないし、例え逃げ切れたとしてもそんな逃亡生活の惨めさはすでに君自身が十分経験している筈です。彼女との間にどんな問題があったにせよ、君が今やるべきことは自ら出頭することです。そして、彼女のご家族に心から謝罪して、犯した罪の償いをきちんとして、その上で君はまだ若いのだから残りの人生をしっかりやり直すことです。そうすることが、君を育ててくれたご家族の名誉を回復し、君の友人たちの名誉を回復し、何よりも君自身の名誉を回復することになります。責任を回避して逃げ回ることは、君らしくない、人間として恥ずかしいことです。今の君が何に影響されているのかわからないけれど、自分自身の心をとりもどして下さい。
つい先日、園芸学部は創立100周年記念事業をやりました。その少し前には、天皇・皇后両陛下が戸定歴史館と園芸学部を訪問されました。そのためにキャンパス内や周辺環境の整備がすすんで、以前とは見違えるほどきれいになりました。最近のキャンパスの写真を何枚か貼付します。ちょうどA棟前のサンクガーデンや生協前広場のサルビアの鮮やかな赤い花が最盛期です。正門の上の猫は野良猫で、近所に餌をやる人がいるものだから、何匹も住みついて困っています。道場では今でも時々汗を流しています。このサイトには私への連絡方法(メールアドレス)も書いてあるので、もし君がこれを見る機会があったら、連絡して下さい。君と是非話をしたいと思っています。
報道されることがなかった市橋達也の大学時代の一面について知ることが出来ましたね。
まとめ|市橋達也の大学
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人・市橋達也。
両親と姉が医師という劣等感から卒業後はかなり苦労していることがわかりました。
そんな市橋達也の大学時代についてお伝えしてきました。
- 市橋達也は2浪し横浜国立大学や幹部に入学
- 医学部でないことと夜間部である劣等感から1〜2年で中退
- 中退後再び2浪し千葉大学園芸学部緑地環境学科へ入学
- 26歳で無事大学を卒業
- 卒業後は建設事務所で働くと語っていたが実際には自宅で英語の勉強をして生活をしていた
- 大学時代に一度逮捕されているが親が示談金を払い前科はなし
- 大学時代の恩師が逮捕2日前に市橋達也に宛てた手紙が話題となった
このような内容でお伝えしてきました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。