指名手配されていた桐島聡容疑者の身柄が確保されてから再び注目が集まっている連続企業爆破事件!
桐島聡の顔は何度も見たことがあるし、都内のビルを爆破したのは知ってるけど・・・
事件の動機は?犯人の現在は?
ということで、この記事では連続企業爆破事件についてどこよりもわかりやすくまとめています。
- 連続企業爆破事件を一言でいうと?
- 犯人は誰?
- 動機は?
などなど、連続企業爆破事件について気になるけれど、長文は読みたくないという方に向けてお伝えします!
連続企業爆破事件|概要をわかりやすく簡単に!
連続企業爆破事件とは、どのような事件なのでしょうか。
簡単に言うと、
- 1974年8月から1975年5月
- 東京の企業が継続的に爆破
された事件です。
どうしてこのような事件を起こしたのでしょうか。
犯人の動機を見てみましょう!
連続企業爆破事件|動機は?
連続企業爆破事件の動機は、
- 反帝国主義
- 反植民地主義
の思想に基づいていました。
と考えていた犯人たち。
海外にも大々的に事業展開をしている大企業らが「帝国主義を支援している」と決めつけ、テロの対象としたんです。
では、どのような企業が狙われたのでしょうか。
連続企業爆破事件|狙われた企業は?
帝国主義を支援していると決めつけられ、爆破された企業は次のとおりです。
- 三菱重工業東京本社ビル(東京都千代田区丸の内)
- 三井物産本社屋物産館(東京都港区西新橋)
- 帝人中央研究所(東京都日野市)
- 大成建設本社(東京都中央区)
- 鹿島建設資材置場(東京都江東区)
- 間組本社ビル(東京都港区)
- 間組大宮工場(埼玉県さいたま市)
- オリエンタルメタル本社(兵庫県尼崎市)
- 韓国産業経済研究所(東京都中央区)
このように、大手企業を次々に爆破した犯人。
どんな人物なのでしょうか。
連続企業爆破事件|犯人は誰?
連続企業爆破事件の犯人は、
というテロ集団です。
この集団は1970年に、法政大学文学部史学科に在学していた大道寺将司が結成しました。
一時は百数十人いたメンバーですが、事件に関わったのは、
- 大道寺将司
- 益永利明
- 大道寺あや子
- 佐々木規夫
- 斎藤和
- 浴田由紀子
- 黒川芳正
- 宇賀神寿一
- 桐島聡
それぞれどのような人物で、どの企業の爆破に関わったのでしょうか。
大道寺将司
- 名前:大道寺将司(だいどうじ まさし)
- 所属:狼
- 生年月日:1948年6月5日
- 出身:北海道釧路市
- 最終学歴:法政大学文学部史学科中退
- 判決:死刑
- 死亡日:2017年5月24日
- 享年:68歳
- 死因:多発性骨髄腫で拘置所内で死去
大道寺将司は、東アジア反日武装戦線“狼”部隊のリーダーです。
次の事件に関与していました。
- 三井重厚爆破事件
- 帝人中央研究所爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
1975年5月19日に逮捕され、後に9件の爆破事件で起訴されました。
メンバーの大道寺あや子とは高校の同級生で妻です。
益永利明
- 名前:益岡利明(ますおか としあき)旧姓:片岡
- 所属:狼
- 生年月日:1948年6月1日
- 年齢:75歳
- 出身:東京都
- 最終学歴:法政大学文学部史学科
- 判決:死刑
益岡利明は、東アジア反日武装戦線の“狼”部隊の名付け親です。
益岡も大道寺と同様、次の事件に関与していました。
- 三井重厚爆破事件
- 帝人中央研究所爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
1975年5月19日に逮捕され、後に9件の爆破事件で起訴されています。
現在は東京拘置所に死刑囚として収監されています。
大道寺あや子
- 名前:大道寺あや子(だいどうじ あやこ)旧姓:駒沢
- 所属:狼
- 生年月日:1948年10月20日
- 年齢:75歳
- 出身:北海道釧路市
- 最終学歴:星薬科大学
大道寺あや子はリーダー格の大道寺将司の妻です。
大道寺将司らと同様、次の事件に関与していました。
- 三井重厚爆破事件
- 帝人中央研究所爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
1975年5月19日に逮捕された大道寺あや子。
逮捕の合間に青酸カリで自殺を図ったが捜査員に阻止されています。
日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流。
現在は国際指名手配中です。
佐々木規夫
- 名前:佐々木規夫(ささき のりお)
- 所属:狼
- 生年月日:1948年8月27日
- 年齢:75歳
- 出身:北海道小樽市
- 最終学歴:北海道小樽湖陵高等学校
佐々木は大学入試に失敗し家業を手伝っていたが、その後上京。
兄の影響で第三世界革命の文献に出会い、後に大道寺将司から“狼”に勧誘されています。
大道寺将司らと同様、次の事件に関与していました。
- 三井重厚爆破事件
- 帝人中央研究所爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
1975年5月19日に逮捕された佐々木は、8月に日本赤軍によるクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流しています。
逮捕の合間に青酸カリで自殺を図ったが捜査員に阻止されています。
日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で超法的措置により釈放され日本赤軍に合流しています。
現在も国際指名手配中です。
斎藤和
- 名前:齋藤和(さいとう のどか)
- 所属:大地の牙
- 生年月日:1947年11月14日
- 出身:北海道室蘭市
- 最終学歴:東京都立大学人文学部中退
- 死亡日:1975年5月19日
- 享年:28歳
齋藤和は“大地の牙”のリーダーであり、連続企業爆破事件の主導的役割を担っていました。
犯行メンバーの浴田由紀子とは内縁関係にありました。
齋藤和が関与した事件はこちら。
- 三井物産爆破事件
- 大成建設爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
- 韓産研ほか爆破事件
1975年5月19日に浴田由紀子と共に逮捕。
齋藤和は警視庁に連行される間にモッチテア青酸カリ入りカプセルを服毒し同日に死亡しています。
浴田由紀子
- 名前:浴田由紀子(えきだ ゆきこ)
- 所属:大地の牙
- 生年月日:1950年12月19日
- 年齢:74歳
- 出身:山口県長門市
- 最終学歴:北里大学衛生学部
- 判決:懲役20年
学生運動と無縁だった浴田由紀子は、高校の同級生の逮捕をきっかけに救援活動に入ります。
後に齋藤和と出会い、住居を提供する目的から同居を開始してたが、内縁関係となります。
浴田由紀子も齋藤和と同様、こちらの事件に関与しました。
- 三井物産爆破事件
- 大成建設爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
- 韓産研ほか爆破事件
1975年5月19日に齋藤和と共に逮捕。
1977年に日本赤軍によるダッカ事件により超法規的措置として釈放。
釈放後は日本赤軍に合流し、1995年ルーマニアで身柄を拘束されています。
服役中は栃木県務所で過ごし、2017年3月23日に刑期満了で釈放されています。
2017年3月には「えきたゆきこ」名で作家デビュー。
著書に『マコの宝物』があります。
黒川芳正
- 名前:黒川芳正(くろかわ よしまさ)
- 所属:さそり
- 生年月日:1948年1月26日
- 年齢:76歳
- 出身:山口県
- 最終学歴:東京都立大学文学部哲学科
- 判決:無期懲役
大学進学後中核派の活動家となった黒川。
後に東アジア反日武装戦線に参加。
1974年に“さそり”を結成し事件を起こします。
黒川が関与した事件はこちら。
- 鹿島建設爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
- 韓産研ほか爆破事件
- 間組作業現場爆破事件
1975年に逮捕された時に持っていた鍵が、他の逮捕者のものと一致しなかったことから、次に紹介する宇賀神と桐島の存在が判明しました。
1987年に獄中から監督をした移植ドキュメンタリー映画『母たち』を制作しています。
内容は、黒川、大道寺、益永らのメンバーの母たちへのインタビューを構成したものです。
1997年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されました。
現在は宮城刑務所に収監されています。
宇賀神寿一
- 名前:宇賀神寿一(うがじん ひさいち)
- 所属:さそり
- 生年月日:1952年12月28日
- 年齢:71歳
- 出身:東京都
- 最終学歴:明治学院大学社会学部除籍
- 判決:懲役18年
明治学院高等学校時代のベトナム反戦運動から活動家に目覚めた宇賀神。
数々の学生運動に参加する中で、“さそり”部隊の黒川芳正と出会います。
宇賀神が関与した事件はこちら。
- 鹿島建設爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
- 間組作業現場爆破事件
1975年5月に東アジア反日武装戦線のメンバー7人が一斉に逮捕された直後、黒川が所持していた宇賀神の家の鍵から指名手配をされることに。
指名手配から7年後の1982年7月13日、東京都板橋区内で逮捕され懲役18年の判決を受けました。
13年間岐阜刑務所に服役し、2003年6月11日に出所しています。
出所後は、救援連絡センターに就職し、事務局員として運営を担いつつ活動を勧めています。
その他一般社団法人スズガモで介護に従事しています。
桐島聡
- 名前:桐島聡(きりしま さとし)
- 所属:さそり
- 生年月日:1954年1月9日
- 出身:広島県福山市
- 最終学歴:明治学院大学
- 死亡日:2024年1月29日
- 享年:70歳
- 死因:胃癌で神奈川県内の病院で死去
明治学院大学在学中、同じ大学の宇賀神と共に、黒川と共に連続企業爆破事件を起こします。
桐島聡が関与した事件はこちら。
- 鹿島建設爆破事件
- 間組本社・工場同時爆破事件
- 間組作業現場爆破事件
1975年5月に逮捕された黒川が桐島の家の鍵を所持していたことから存在が明るみになり、指名手配されました。
神奈川県鎌倉市の病院に末期がんの治療のため「ウチダ ヒロシ」を名乗る男が入院しました。
自らを「桐島聡」と名乗ったため2024年1月25日に職員が通報。
DNA鑑定中の1月29日午前7時33分に入院先の病院で死亡しています。
DNA鑑定の結果、桐島聡と特定され被疑者死亡のまま書類送検されています。
連続企業爆破事件|被害者は?
連続企業爆破事件では、どれほどの人が犠牲になったのでしょうか。
連続企業爆破事件では、
- 死亡:8人
- 重軽傷:407人
このように多くの方が犠牲となりました。
企業別に見るとこのようになっています。
事件日 | 企業 | 被害者 |
---|---|---|
1974/ 8/30 | 三菱重工ビル | 死亡:8名 重軽傷:376名 |
10/14 | 三井物産物産館 | 重軽傷:16名 |
11/25 | 帝人中央研究所 | 0名 |
12/10 | 大成建設本社 | 重軽傷:9名 |
12/23 | 鹿島建設資材置き場 | 0名 |
1975/ 2/28 | 間組本社 間組大宮工場 | 負傷:5名 |
4/19 | オリエンタルメタル社 韓国産業経済研究所 | 0名 |
4/28 | 間組京成江戸川作業所 | 重傷:1名 |
5/4 | 間組京成江戸川鉄橋工事現場 | 0名 |
何の罪もない多くの方々が犠牲になりました。
連続企業爆破事件|この事件について
連続企業爆破事件は、非常に異例で重大な事件と言われています。
当時の日本では、爆発物を使用して企業の施設を攻撃する方法は珍しく、警察や治安当局にとっても処理が難しい事件でした。
最初に起きた三菱重工ビル爆破事件は日本で最大のテロ事件とされており、40年たった現在でも度々テレビに取り上げられています。
40年前に起きた事件ですが、捕まった班員の一部は超法規的な措置で釈放され、3人が死亡、2人はまだ国際指名手配中で、解決されていません。
9ヶ月間で連続的に企業を爆発させ、多くの犠牲者を出した連続企業爆破事件は、当時の日本社会に大きな衝撃を與ました。
まとめ|連続企業爆破事件をわかり易く解説
いかがでしたでしょうか。
1974年から1975年にかけて起きた日本最大のテロ事件『連続企業爆破事件』についてわかりやすくまとめてみました。
- 連続企業爆破事件は『東アジア反日武装戦線』によって実行
- アジア侵略に加担してるとされた企業を標的にし、政治的拝啓が強く影響している
- 犯人は、先日亡くなった桐島聡を含む9人
- ほとんどが高学歴で優秀な人物が学生運動を接点として集まった
- 日本の歴史において非常に異例で重大な事件
このような内容でお伝えしてきました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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