2000年7月、神奈川県三浦市の海岸の洞窟でルーシー・ブラックマンさんの遺体が見つかりました。
犯人は織原城二(おばら じょうじ)当時48歳の不動産会社を経営する男でした。
織原城二とはどのような人物なのでしょうか。
この記事では次のようなことが気になる方に向けてまとめています。
- 織原城二の実家と家族構成
- 織原城二の生い立ち
- 織原城二の前科
織原城二の現在の様子についてはこちらの記事でまとめています。
織原城二の父親についてはこちらから。
おバラ城二から1億円受け取ったルーシー・ブラックマンさんの父親についてはこちらから。
織原城二の生い立ち|実家と家族構成
織原城二は昭和の風情が残る1952年の大阪に生まれました。
- 名前:織原城二(おばら じょうじ)
- 出生名:金聖鐘(キム・ソンジョン)
- 生年月日:1952年8月10日
- 出生地:大阪
織原城二は貧しい移民から大成功を収めた父を持ち、裕福な環境で育ちました。
織原城二の実家はどこ?
織原城二の実家は大阪の高級住宅街である
に一戸建ての豪邸を構えていました。
この家は織原城二が生まれる前に父親が事業で成功して建てられたものです。
織原城二の家族構成は?
織原城二は6人家族の次男として生まれます。
- 父
- 母
- 長男
- 次男:織原城二
- 三男
- 四男
織原城二の家族はどんな人物なのでしょうか。
織原城二の生い立ち|韓国人の両親
織原城二の両親は在日韓国人です。
2人は太平洋戦争前に自由移民として日本に移り住みました。
両親は通称名として「星山」という姓を使うこともあったといいます。
織原城二の父親は?
織原城二の父親は
日本に移住後は
- 不動産業
- パチンコ業
などで成功しています。
貧しい生活を強いられる移民が多い中、織原城二の父親は成功者でした。
織原城二の母親は?
織原城二の母親は
織原城二がルーシー・ブラックマン事件を起こした際に母親は複数の弁護士を高額で雇い、情報を仕入れていました。
警察が息子に自首させるよう母親を説得に伺った際には、「息子は無実です。どうして警察は無実の息子を逮捕したのか」とまくし立てたといいます。
織原城二の兄とは?
織原城二は4人兄弟の次男です。
長男は織原城二の4歳年上でした。
高校時代に織原城二の兄と親しくしていた元衆議院議員の西村眞悟氏によると、
ようで、心身を病み高校を中退しているとのことです。
高校中退後に再会した際は、「自分はCIAに盗聴されている」と思い込み、支離滅裂なことを口にしていたと言われています。
織原城二の弟とは?
織原城二には
- 6歳年下
- 10歳年下
の二人の弟がいます。
上の弟は韓国語、英語、中国語も堪能な文学青年でした。
作家を志しており、1977年に観光の文学雑誌「季刊三千里」で入選を果たしています。
しかし、文学賞の選考委員に母親の親友がいたことを知り、コネ入賞だと思い込み筆を置きました。
下の弟についてはあまり情報がありませんが、兄弟の中で四男だけが地元公立の中学、高校に進学しているようです。
織原城二の生い立ち|幼少期
幼少期から厳しく育てられた織原城二は、幼稚園時代から
- 3人の家庭教師
- ピアノ
- ヴァイオリン
などを習わされ、自由のない忙しい幼少期を過ごしていました。
織原城二の出身小学校は?
織原城二は小学校受験をし
に入学します。
大阪教育大学附属天王寺小学校は大阪の小学校では屈指の受験難易を誇っています。
住所 | 大阪市阿倍野区松崎町1-2-45 |
偏差値 | 60~65 |
通称名で生活を始めた織原城二
織原城二は小学校入学のタイミングで名前を変えています。
「金聖鐘(キム・ソンンジョン)」
↓
「星山聖鐘(ほしやま せいしょう)」
差別を避けるために、本名ではなく通称名で生活することを決めたのかもしれませんね。
この頃の織原城二は背が高くやんちゃな少年でした。
孤独な幼少期を過ごした織原城二
通称名を使って小学校に入学した織原城二でしたが、振る舞いは
のようだったと言われています。
目つきが鋭かったのと、怒りっぽく我が強い性格だったため、友達らしい友達はいなかったといいます。
反抗期の織原城二
織原城二は親への反抗心から
などをしていたと語っています。
国立の小学校に入学し、エスカレーター式で国立の中学校に進学した織原城二。
その後、父親の管理下から逃げ出したい一心で猛勉強をしています。
織原城二の生い立ち|高校時代
父親の管理下から逃げ出したい一心で東京の有名私立へ進学した織原城二。
高校生とは思えない派手な生活をしていました。
織原城二の出身高校は?
織原城二は附属天王寺高校へは進学せず、猛勉強の末
へ進学しています。
住所 | 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-2 |
偏差値 | 76 |
高校から一人暮らしを始めた織原城二
通学のために父から与えられた一人暮らしの家は、
でした。
高級住宅街の中でも異彩を放っていた織原城二が暮らす家は、庭にはプールがあり、数台の車が停められるガレージも併設されていました。
整形手術を受けた高校時代
織原城二は高校時代整形手術を受けています。
- 目頭切開
- 二重まぶた
当時まだ、一般的ではなかった整形手術。
織原城二の噂は、あっという間に広がりました。
さらに体も鍛え、髪型も当時流行したケネディカットにしていました。
織原城二は韓国人らしくない見た目にこだわっていたようです。
出自を隠す織原城二
高校には在日2世の生徒が何人かいました。
しかし織原城二は一貫して自分の出自を隠していました。
そのため、織原城二の親が韓国人であることは誰も知らなかったといいます。
派手な生活を送る織原城二
織原城二は学生の頃から1人でディスコに通っていました。
ブランド物を身にまとい、女性に貢ぐという高校生とは思えないお金の使い方をしていました。
そんな織原城二が声を掛ける女性は決まって白人女性だったようです。
異常な性癖を持つ織原城二
ディスコでは白人女性をターゲットに声をかけていたようです。
高校在学中の1969年頃からアルコールやクロロホルムや睡眠薬の仕様による昏睡プレイを始めています。
それらすべては詳細に記録されていたと言われ、ニュースでも報じられました。
彼が名付けた「征服プレイ」なるもの。17歳以降のすべての性生活について詳細を記録してきた彼は、当然、その一部始終もカメラで記録していた。
東洋経済
また同級生によると、高校3年生のときに「ベティ」という年上のハーフ女性に熱を上げていましたが、最終的にはフラれてしまい大泣きしていたという証言もあります。
織原城二の生い立ち|大学時代
織原城二は大学へ進学後帰化し、海外へ遊学しています。
織原城二の出身大学は?
織原城二は慶應義塾高校卒業後、慶應義塾大学への内部推薦を辞退し、
- 駒沢大学へ進学
- 慶應義塾大学法学部を卒業
しています。
入学直後3年間海外に遊学した織原城二。
駒沢大学は中退しています。
1974年頃に日本へ帰国したのち、慶応義塾大学の通信教育課程に合格しています。
その後一般通学過程に編入し、法学部の法律学科と政治学科を卒業しています。
19歳で日本人に帰化した織原城二
織原城二は大学時代の19歳のときに
しています。
幼少期から韓国人であることを隠すように使ってきた「星山聖鐘」という名前を捨て「織原城二」という新しい名前を取得します。
帰化後はパスポートを取得し、海外に渡っています。
大学在学中に遊学
大学へ進学した織原城二ですが、入学直後から
- アメリカ
- スウェーデン
などに遊学してます。
織原城二は当時、伝説のロックバンド、カルロス・サンタナの知遇を得たと話しています。
織原城二の生い立ち|父親の急死と資産相続
織原城二は17歳のときに父親を亡くしています。
父親が亡くなったのは1969年、
のことでした。
父親は大阪の実業家らとともに香港旅行に出かけ、不可解な状況で死亡しています。
織原城二は、父親の死因は急性脳卒中と話していますが、仕事のトラブルで謀殺されたと噂されました。
また、織原城二一家は葬儀などは行わず喪に服す様子もありませんでした。
父親がなくなった兄弟は多くの遺産を相続しました。
- 長男:父が経営していたタクシー会社
- 織原城二:田園調布の土地と建物/父が所有する駐車場
- 三男:父が経営していたパチンコ店
- 四男:不明
織原城二の生い立ち|大学卒業後
大学を卒業した織原城二は、特に就職をすることもなく、海外旅行をするなど自由な生活を謳歌していました。
不動産開発で資産40億円
30代になった織原城二は、家業の駐車場経営や不動産開発業に、父親から相続した財産をつぎ込むようになります。
日本各地のビルやマンションを次々に購入しました。
1988年には赤坂の高級マンションを別宅として購入。
196年には六本木のワンルームマンションも購入しました。
不動産業を始めてから織原城二の資産は増え、一時期は総資産40億円にまで達した時期もあります。
所有物件を差し押さえ
そんな順風満帆に資産を増やしていった織原城二でしたが、2000年に事件で逮捕される前はすでに事業で失敗しています。
1999年には自宅を一時的に差し押さえられたほか、複数の所有物件の差し押さえを受けていました。
織原城二の生い立ち|犯罪歴
織原城二はルーシー・ブラックマン事件を起こす以前にも複数の事件で罰金刑や逮捕歴があります。
- 1983年:自動車に追突
- 1998年:女子トイレの盗撮
また、1998年以前にも同様の性犯罪による逮捕歴があります。
織原城二の生い立ち|ルーシー・ブラックマン事件の概要
ルーシー・ブラックマン事件は世間から多くの注目を集めた事件です。
- 事件発生:2000年7月1日
- 被害者:イギリス人女性、ルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)
- 犯人:織原城二(当時48歳)
当時ルーシー・ブラックマンさんが六本木で働いていた際に行方不明になりました。
彼女は友人に連絡をしてから行方がわからなくなり、その後神奈川県三浦市内の洞窟でバラバラ二切断された遺体が発見されました。
事件の真犯人として逮捕された織原城二は、ルーシーさんを含む200人以上の助成に対する性犯罪の被害者であることが判明しています。
事件から10年後の2010年、織原城二に対し無期懲役の判決が確定しています。
まとめ|織原城二の生い立ちについて
いかがでしたでしょうか。
この記事ではルーシー・ブラックマンさん事件の犯人である織原城二の生い立ちについてまとめました。
- 織原城二は大阪の高級住宅地に両親と4人兄弟の次男として生まれる
- 織原城二の両親は在日韓国人で複数の事業で成功していた
- 織原城二は幼少期から厳しく育てられ小学校受験をしている
- 織原城二は韓国人であることを隠すように生活していた
- 高校は慶應義塾高校に進学
- 一人暮らしの家は田園調布で家政婦付き
- 父が亡くなり膨大な遺産を相続する
- 高校時代から高級品を身に着けディスコに通い女性に声をかけていた
- 大学は駒沢大学へ進学するも中退
- 後に慶應義塾大学を卒業している
- 父の遺した遺産で事業を始め一時的に40億円を得る
- 事件直近は負債が生じ所有物件を差し押さえられていた
- ルーシー・ブラックマン事件以前に犯罪歴あり
このような内容でお伝えしてきました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。