ルーシー・ブラックマン事件の犯人として無期懲役の刑を受けている織原城二。
織原城二の父親はどんな人物なのでしょうか。
この記事では次のようなことが気になる方に向けてまとめています。
- 織原城二の父親の顔画像やプロフィール
- 織原城二の父親の経歴
- 織原城二の父親の家族
- 織原城二の父親の死因
織原城二の現在についてはこちらの記事でまとめています。
織原城二の生い立ちについてはこちらでまとめています。
織原城二から1億円受け取ったルーシー・ブラックマンさんの父親についてはこちらから。
織原城二の父親|顔画像やプロフィールは?
織原城二の父親の顔画像は公開されていませんが、名前や経歴などがわかっています。
- 名前:金教鶴(キム・キョハク)
- 通称名:星山
- 出身:韓国・釜山
- 住居:大阪府阿倍野区北畠
- 家族構成:妻、4人の子供
織原城二の父親は韓国釜山生の韓国人です。
いつどのようにして日本に渡ってきたのでしょうか。
織原城二の父親|経歴は?
1941年からの太平洋戦争が始まる前、若き日の織原城二の父親は自主的に日本に移住してきた自由移民です。
移住したばかりの頃は、鉄くずなどを収集するスクラップ回収として働くも、貧しい生活だったといいます。
その後経てタクシードライバーを経てパチンコ店の経営者として財を築き上げました。
そんな金教鶴ですが戦後には
- 駐車場業
- タクシー事業
- パチンコ屋
- 不動産業
などで多くの富を築きあげ、日本でも有数の裕福なオーナーに転身し、高級住宅街に居を構えました。
織原城二の父親|自宅はどこ?
小幡城二の実家は、大阪屈指の高級住宅街として知られる
に一軒家を構えていました。
父・金教鶴はこの地で妻と4人の子供たちと暮らしていました。
織原城二の父親|妻と子供たちは?
織原城二の父・金教鶴は、同じく自由移民の全玉尋と結婚し4人の子供に恵まれています。
織原城二の父・金教鶴の妻
織原城二の父・金教鶴は、裕福な生活の中同じく自由移民の全玉尋(チョン・オクス)との間に4人の子供を授かっています。
金教鶴の妻・全玉尋とはどのような人物なのでしょうか。
織原城二が一連の事件で捜査線上に浮上した際、全玉尋と警察とのやり取りが報じられています。
「息子は無実です。どうして警察は無実の息子を逮捕したのか」
開口一番、母親は捲くし立てた。
母親は、自分が雇った複数の弁護士から報告を受けていたのだ。自慢げに、1人当たりの弁護士報酬は3桁に及ぶと言い放った。
「どれだけお金がかかろうと、泣いている息子を助けるのが母親と違いますか」
文春オンライン
また、在日朝鮮人としての差別を感じていたのか、子どもたちの学歴には必要以上に固執していた事がわかっています。
織原城二の父・金教鶴の子どもたち
織原城二の父・金教鶴には4人の子供がいました。
子どもたちは幼少期から家庭教師や習い事をさせられ、難関校へ進学しています。
しかしプレッシャーからか精神的に病んでしまう子どもたちもいたようです。
詳しくは、織原城二生い立ちにまとめています。
織原城二の父親|44歳で死亡
金教鶴は織原城二が17歳のときに死亡しています。
1969年、金教鶴が44歳のときに大阪の実業家ら行った香港旅行で亡くなりました。
死因は急性脳卒中と織原城二は話していますが、不可解な状況で死亡していることから、ヤクザの犯罪に巻き込まれたんじゃないかと言われています。
しかし織原城二の家族は喪に服すこともなかったと言われています。
まとめ|大原城二の父親について
いかがでしたでしょうか。
この記事ではルーシー・ブラックマン事件の犯人・織原城二の父親についてまとめました。
- 織原城二の父親は在日朝鮮人「金教鶴(キム・キョハク)」
- 織原城二の父親は自由移民でスクラップ回収をしていた
- その後タクシードライバーを経てパチンコ店を運営
- 駐車場、不動産、タクシー事業、パチンコ店など事業を広げ勝ち組となる
- 妻は自由移民の全玉尋
- 織原城二の父親には4人の子供がいる
- 44歳香港旅行で不可解な死を遂げる
このような内容でお伝えしてきました。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。